今日は、会社お休みです。
9/10にかあちゃん危篤の知らせをもらった。
急遽次の日に、妹とかみさんを連れて九州に帰る。
病院に着いて、かあちゃんを見るて触ってみるが、もう返事はしてくれない。
かなり小さく成って、全ての生命力を使い果たした感じに見えた。
家族が揃った処で、担当医から説明をもらった。
MRIや血液検査、ずいえき?の検査、色々やったが原因が分からず、背中の痛さがどこが原因かも分からず、先生も苦悩していた。
おやじが、8/13に帰ってから看病をし、病院も変えて対応は良い所にしてもらったが、9/11に静かに心臓が停止した。
俺達が帰ってくるのを待っててくれたんだろう。
思えば、埼玉から九州に帰る為の資金を作る貯めに、内職したり、お歳暮やお中元の配達をやり良く一緒に手伝いをしました。
妹の高校の入学金が足りなく、親父に足りないと進言すれば、無いの一点張りで、俺に30万貸してくれときましたね。
それから3年後も妹の短大の入学金が無く、俺に相談してくれて、俺は妹は短大いけるん?へ~じゃ~家から大学とフレーズが付く子がでるのか~、あいつは俺と違ってできが良いから、行けるなら上に行かせようよ!と俺も言い、通帳をそのまま渡した事もありましたね。
性格の悪い親父に付き添い苦労された後ろ姿は忘れません。
俺が結婚する時に、借りてた入学金のお金が、少しづつかえしてたけど、全部、俺に返ず、俺を呼びごめんね!と言った時、俺は、これで親子の金の貸し借りは無しにしようと言いましたね。すまなそうな、苦笑いの顔は今でもわすれません。
その後、親父の意地悪が治る事も無く、苦悩が続いていたのは知ってます。
話を聞いて欲しいと、電話があり、会社を休んで駆けつけた事もあり、親父を呼び出せ!!と俺は怒り言いましたが、親子で喧嘩をするものでは無いと、言い効かせられ俺も耐えてきました。
話を聞いたり、食事にも一緒に行き、かみさんもかわいがってくれたし感謝してます。
俺の一緒に居た25年の内、11年は、我慢と努力と資金の苦悩で、結婚後は、親父に反撃できなく、おふくろの言い付けを守り、怒りを抑えた我慢の13年でした。
今は、おふくろは全てから解放されたのでしょう。
親父から別々に暮らすのに、仕送りを貰いそれを止められた事もありました。
妹からそれを聞き、2人で3万ずつ包み送り、その夏に、帰った時に美味しい物食べた?問いいたら、物凄く長いホースでシャワー付いてる水撒き用のホース買ったといいました。
なんで、そんなもの買うのかな~と聞くと、食べ物は食べたら無くなるけど、ホース買い水を畑に撒けば、お前たちに、野菜を送ったり、おかずを作って送れるじゃん!と言いましたね。
言葉を失いました。
これ以上、書くと涙が溢れそうなのでこれでおしまし。
かあちゃんありがとう。
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